マツモト交商ヒストリー 〜350年のあゆみ〜Vol.1

1590~1795年 創業期〜江戸期

マツモト交商事項 松本製薬工業(現マツモトファインケミカル)事項 業界関連事項

1590 [天正18年]
日本橋本町の誕生
徳川家康が江戸に入り、城下町の橋普請を始める。新開地であった江戸の中の初めての町地として本町(日本橋本町)がつくられる。
1593 [文禄2年]
江戸最初の薬種商が開業
小田原の薬種商・益田友嘉が江戸日本橋本町に、江戸で最初の薬種商を開業する。(橋普請と江戸城普請で集められた人足たちの間で流行した眼病用として評判を高めた目薬「五霊膏(ごれいこう)」を売る)
国立国会図書館蔵
1614 [慶長19年]
〈大坂冬の陣〉
堺の松本市左衛門が日本橋本町に屋号「いわしや」の薬種問屋を開業
1663 [寛文3年]
初代松本伊兵衛が「いわしや松本伊兵衛」を創業する
1687 [貞享4年]
「いわしや」登場
江戸の地誌である『江戸鹿子』に、江戸の薬種問屋として本町三丁目「いわしや」が記載される。江戸鹿子によると、江戸には当時36軒の薬種問屋が存在したとされる。
1722 [享保7年]
和薬改会所に本町から5軒の「いわしや」が参加
江戸に大坂・堺・京都・駿府の薬種屋が呼ばれ、「和薬改会所(わやくあらためかいしょ)」が設立される。和薬改会所は、和薬の真偽を確認する、幕府公認の機関である。同時に、江戸に薬種問屋の幕府公認の株仲間が形成される。
和薬改会所と株仲間の会員として、江戸本町三丁目から5軒の「いわしや」が参加する。いわしや屋号の薬種問屋は、同族団として大いに隆盛していたことがうかがわれる。
1795 [寛政7年]
「六代治家記録 桂山公」
仙台藩公式記録「六代治家記録 桂山公」(仙台市博物館所蔵)の寛政7年3月13日の記録に「松本伊兵衛江戸ノ商へ兼て用度を弁し且つ鉱山の事務に尽力し曽て獻する吹 目金を蓍の外室へ鏤む由て服及び酒肴を賜ふ」との記載がある。



仙台市博物館蔵

化粧品業界関連事項

薬種問屋の創業ラッシュ (1666年[寛文6])
大坂で出された町触れ(町奉行所から町人に対して出した法令)に、次のような内容が含まれる。「江戸町中の薬屋たちが、勝手に座を作って薬種を買い占めたり、偽薬種を取り扱ったりしているので、今後は禁止する。このことを薬種の問屋と薬屋たちに命じたので、座を作ったり占め売りしたりする者がいれば、町奉行所へ訴え出よ、との命令が江戸で出た。」
「座」とは、現在でいう同業組合のようなもので、江戸時代には特別に認められた業種以外には禁止されていた。例えば薬種問屋については、享保7年(1722年)に、「仲間」という名称で同業組合がようやく公認されることになる。
1666年のころには、町触れを出して禁止しなければならないほど相当数の薬種屋が江戸に存在し、私的に組合を作って営業するほどの成熟を見せていた、ということがうかがえる。薬種問屋の創業ラッシュであったこの時期に、いわしや松本伊兵衛も創業したことになる。